日本にも多くの窯場が開かれ茶器が生産されていきますが、飲茶形式は、団茶・抹茶が主体であり茶碗・茶壺などは多く生産されましたが、煎茶が一般手に飲用されるようになるまではまでは現代でいう煎茶のための急須というものは、生産されることがありませんでした。
江戸期に入り文久年間(1861~1864)に杉江寿門などが、中国の茶注を真似て急須を作り始めたのが、常滑急須の最初でありました、やがて煎茶製法が確立され一般的に簡便な煎茶が広まるにつれ急須の需要は増えていきました。
中国宜興窯では明代からすぐれた急須を生産し現代でも急須生産地として名高いですが、日本における急須はこの宜興窯で作られた、朱泥、紫泥急須などをベースに発展していきました。
1827-1897 幕末-明治時代の陶工 常滑焼の鯉江方救の門人、明治11年来日した清の金士恒に宜興窯の技法をまなび朱泥急須の製作をもっとも得意としました。
中国江蘇省宜興市にある窯で、唐代のころから青磁を焼成し明時代に、褐色から茶色の朱泥、または紫がかった灰黒色の紫泥とよばれる土を用いた茶器を焼成し、これらが明末の文人趣味の隆盛とともに用いられ名声を博しました。
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