萬古焼|陶器 磁器

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萬古焼

萬古焼は、江戸時代に沼波弄山が「萬古不易」と作品に落款したことが、萬古焼の起源といわれています。

萬古焼 急須

その後、森有節が萬古焼を振興させましたが、これらは精巧な木型を使った型造りの物で白土が原料でした。
その後原料の白土が枯渇して原土が現在の赤土に変わり、還元焼成により紫泥と呼ばれる急須を造るようになり温故焼は、四日市に急須をろくろで造る製法を伝えました。
当時、急須のろくろ師をオンコ師と呼んでいました。
温故より技術を習得した四日市の藤岡大雅はその後の四日市萬古急須を大きく発展させる赤坂型の元を造った。
合理的に造られている赤坂型は、現在まで累計で一番多く生産された急須の型です。
明治20年代美濃土岐津、常滑、伊賀各地からろくろ師が四日市に集まり三重県の中で四日市萬古は、NO1の地位を築きました。

・萬古陶磁器卸商業協同組合 http://yokkaichi-banko.com/

沼波弄山

沼波 弄山(ぬなみ ろうざん)1718年-1777年は、萬古焼の始祖として知られる陶芸家。
本名は、五左衛門重長で、桑名・船馬町の商家に生まれ幼いころより茶道に親しんだ。
20歳のころ、現在の三重郡朝日町に釜を開き、陶芸を始め作品は次第に有名となり、1751年-1764年に江戸に窯を開きました。

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